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下肢静脈瘤ブログ

足の血栓、頭に飛ぶ、死んでしまう、そう思うとき

足にしこりのようなものができてしばらく経つ。私はふくらはぎの内側を見るたびに、そのしこりが大きくなっていないかを触って確認している。「うん、今日は大丈夫そうだ」足をさすりながら言った。履き慣れたランニングシューズの紐を結んで扉を開けた。

30分ほど緩やかな山道を走っていると、足がなかなか上がりにくくなってきた。すぐに疲れてしまう。おかしいなと思いながらもいつもの目的地である富士山の見える公園になんとかたどり着いた。ふくらはぎの赤みが増してきていた。少し水で冷やそうと思い立ち、私は水道でタオルを冷やしてふくらはぎに当てた。足を投げ出しているとずきずきとした痛みが気持ち軽くなるのを感じた。これは帰り走れるだろうかとその時はまだ走る前提で考えていた。今考えると何故あのとき素直に歩いて帰らなかったのか不思議だった。歩くという選択肢がすっぽりと抜け落ちていたのだ。

10分ほど足をベンチに投げ出し、タオルでふくらはぎを冷やしながら水を飲んだ。2週間後に控えているマラソン大会のことが頭をよぎった。今回は良いタイムが出せないかもしれない。

タオルを首にかけ直して、帰り道を走り始めた。あたりはもうセミが大合唱している。腕時計はあまりゆっくりしている時間はないことを静かに告げていた。一歩一歩の着地を確かめるかのように走り、シャワーをそのまま浴びた。足には冷たい水を当てていると気持ちがよかった。着替えてそのまま仕事へと向かった。

パソコンに向かって仕事をしていると、ふくらはぎがずきずきと痛み出した。昼休み前だったので、かかりつけに電話をしてすぐにみてもらうことができた。レントゲンでは異常がなく、これは血栓かもしれませんと医者が言った。

「血栓?血栓って、頭に飛んで、死んでしまうやつですか?テレビで言っていました。大丈夫なんですか」と私は動揺しながら彼に尋ねた。

「そうですね、万が一ということもあるので、これから大きな病院に紹介状を書きますのでそのまま行ってください」と医者は言った。

私は首を振った。やれやれ、仕事どころじゃない。すぐに職場に連絡を入れて休むことにした。上司は血栓という言葉を知っており、とても心配そうに明日も休んでいいと言っていた。私は自分があまりいい状況にない事を確認してしまったようだ。

タクシーで総合病院に向かった。循環器内科へと案内され、すぐに超音波検査とCTやMRIの撮影に回された。酸素飽和度を計られ、胸に聴診器を当てられた。そして採血され、車椅子で院内をあちこち連れて歩かれた。結果はすぐに出た。

「血栓性静脈炎です」と長身の眼鏡をかけた感じのいい医者が言った。彼はとても煙草臭かった。私は煙草を吸わないので、その匂いには特に敏感だった。「足に血栓ができて、塊となり、炎症を起こしています」

「血栓性静脈炎」と私は確かめるように言った。そしてもう一度同じ質問をした。「血栓って、頭に飛んで、死んでしまうやつですか?大丈夫なんですか」テレビで言っていたとは言わなかった。

「それは深部静脈血栓症のことですね。血栓性静脈炎では頭にも飛ばないし、死ぬことはありません」と彼ははっきりと言った。「ただし、心臓に先天的な異常があると飛ぶことはありますが、飛ぶとしてもほとんどは肺に飛びますし、息が苦しくなるような呼吸障害になるまではかなりの量の血栓が必要になります。少量の血栓では呼吸への影響は出ることは少ないですよ。今回は痛み止めと抗生剤の内服薬を処方します。足を冷やして冷やして上げておいて下さい。しばらく運動せずに安静が必要です。ひと段落したら下肢静脈瘤の治療が必要ですね」

彼の言っていることが専門的すぎるのか、死ぬことはないと聞いて安堵したためか、その後の説明は全然頭に入らなかった。おそらく彼は丁寧に答えてくれていたのだろう。それでも私の安堵感は病状を理解することを忘れてしまった。下肢静脈瘤という聞き慣れない言葉が引っかかった。すぐにでも調べたい衝動に駆られたが、調べることを指が拒否していた。

今日は色々な事がありすぎた。血栓で死ぬことはないことが分かって本当によかった。あらゆる情報が混ざり合って、誤った情報に姿を変えてしまっていた。ほとんど妄想と言ってもいいくらいだ。血栓、頭に飛ぶ、死ぬかもしれない。この組み合わせがいかに間違っていることを私は理解する事ができた。

印象的な専門用語と死を組み合わせることで、新しい不安を誕生させる能力に長けている居間にある大きな画面は私からたくさんのものを奪ってきた。自分を見つめること、自分から動くこと、自分の時間などだ。長い時間、その画面の前に座っていることで血流が滞り血栓ができるというのに気づく事ができなかった。血栓が危険だと吹き込む大きな画面を座って見続けている行為そのものが危険だったのだ。無為に数時間も見続けることでその危険性は増していく。映画だってよくみたら長くても3時間弱だ。劇場だって強制的な休憩がある。

楽しい内容のものは記憶には残らないが、不安を煽るようなものは頭に刻み込まれている。外に出て人と話したりすることが以前のようにはいかない今は部屋に篭り、画面を一人で眺める時間が増えてしまった。私はそれが嫌で外を走ることにしてきたのだ。外に出るだけでも立派な運動だ。今回は血栓を経験したが、それだって下肢静脈瘤という病気が原因としてもともとあったために発症しただけで、下肢静脈瘤をなおせばもう血栓の痛みに苦しむことはないんじゃないかと思った。結果として起こっているものは反復する可能性を大いに含んでいる。そのためには原因を根本的に治療すればいい、ただそれだけで全然難しいことじゃないじゃないかと思うようになってきた。目の前の血栓はそれをただ教えてくれているだけに過ぎない。それは『ただの血栓』だ。血栓と死を結びつけることは妄想のようなものかもしれない、と私は足をさすった。すまなかったねと言うように。

気がつくと、足の痛みが少しずつ気にならなくなっていった。

 

下肢静脈瘤と給付金について 〜ある患者さんの気持ち〜

下肢静脈瘤を治すとお金がもらえる。手術をするとお金がもらえる。しかし通院だけではお金はもらえない。今まで長い間この保険に入ってきたんだ、たくさん払ってきて一度ももらったことがない。何だかとてももったいない気がしてきた。これくらいもらって当たり前だ。

今日は診察を終えて自分の足が治ることが分かった。今まではこの足は年だからしょうがないと思って諦めていた。ふくらはぎの痛みや重だるい感じがあって、少し血管も浮いていてそこが痛くなることも珍しくない。まるで筋肉痛のような痛みがある。

私は長い間、立ち仕事をしてきた。出産を経験し、便秘もある。親にも下肢静脈瘤があるから遺伝だと言われても納得してしまう。しかし、親しい人たちを含め「そんなのは命には別状ない。ストッキング履いておくしかないし、手術するなら血管を引き抜くから入院になる。そこまでして治療したいのか?」とかかりつけの先生に言われていたので誰ひとり治療しようとする人がいなかった。私の住んでいるところではかかりつけの先生の言うことが絶対的に正しいような風潮がある。それに疑問を持つことは好ましくないようにすら言われる。だから周りの人たちには相談できない。そう思って自分で携帯電話を使って、『どこにかかったらいいか』を調べるようになった。まさか下肢静脈瘤を専門にしているクリニックが静岡にあるなんて思わなかった。東京まで行かなくてはならないと思い込んでいた。今は都内に行くのが怖いし、近くの方がありがたい。

初めてのクリニックは、何だか行くのが怖い、専門のところに行くなんてハードルが高い。こんな大したことのない足で行っていいんだろうかと思っていた。すると無料で下肢静脈瘤をチェックできると書いてあった。『大して血管は浮いていないけれども、受診をためらっている方は是非どうぞ』と書いてあった。私と同じように少し気になる程度の人が沢山いるんだなと思った。大して血管は浮いていないから、こんな足で行ったら怒られるんじゃないかと思っている人が。

保険診療だとさらにそのハードルは上がる。お金まで払って見てもらうほどじゃないんだけど、ちょっと相談したいだけ。そう言う患者さんは沢山いるはずだと私は思った。痛くてしょうがないとか何か症状があれば最初から保険診察でみてもらいたいと思うからだ。

私は無料の下肢静脈瘤チェックを受けることにした。医者は私の前に座り込んだ。膝の高さになり足を見始めた。超音波検査をしながら足の状態を説明している。画面に下肢静脈瘤が太く黒い円で描出されていた。彼は指差しながら、「これが静脈瘤です。隣のこの細いのは正常な静脈です。詰まってくると太くなり、中が赤くなったり青くなったりするんです。こうやって押すと色が着きます」とふくらはぎをそっと押した。丸く太い円はみるみると夕陽のような色がしばらく続き、線香花火のように徐々に消えていった。「下肢静脈瘤のようです」彼は言った。

自分の病気が分かった。同時にもやもやした想いもすうっと消えていくのが分かった。年だから放っておく必要もないってことも。治療法についても簡単に彼は説明した。ストッキング、注射、カテーテルと3つあるうちからどれが自分には適しているのかを紙に書き込んでいった。

最後に私はお金のことを聞いた。「これって生命保険とかお金って出るんでしょうか?」

「はい、出る方が多いですよ。よく書類も書いています。治療方法がわかればそれを保険会社に伝えてもらえればどのくらいお金が出るのかわかるはずです。それを確認してから治療する方も多いですよ」と医者は言った。それがよくある質問であることは彼の答え方からもよく分かった。無駄な言葉がまるでない。聞きにくいことも答えに含めてくれていた。

「わかりました。ちょっと生命保険会社に相談してみます」と私は言ってクリニックを後にした。「いくら出るかは入っている保険や保険会社で違うようです。確認してみてください」と彼は最後に付け加えた。

私は早速自宅に帰り、ファイルの中から契約書を引っ張り出し、担当者に電話をした。お金が出ることが分かった。私は安心し治療をすることを決めた。お金のためになおすわけではないけれど、せっかくなおすなら負担が減るのは助かる。そう自分に言い聞かせた。これまでたくさん払ってきたんだとは振り返らないようにした。今度の診察の帰りは少し美味しいものでも食べに行こう。私は次の予約を入れた。

死と下肢静脈瘤のあいだ

「ふくらはぎに”しこり”ができて、痛くなってきたので不安で来ました」と70代女性の患者さんは言った。

「農業をしていて、しゃがんで作業することが多いんです。昔から血管が浮いているのは分かっていたんですが、近所のかかりつけに行っても歳だからしょうがないし、命に関わるわけじゃないから放っておくしかないと言われたのでそのままにしていたら、最近しこりが大きくなってきて痛くなってきたもんで、こりゃまずいと思って来ました」

僕は超音波でふくらはぎの赤くなっているところを念入りに確認した。皮膚は赤く腫れ上がり、少し触るだけでも痛みが出るようで診察の間は幾分か辛そうな表情が浮かんだ。静脈には血栓ができており、周囲の皮膚は炎症によって腫脹していた。血栓性静脈炎だ。

「足に血栓ができてますね。足の血管の膨らみが原因で血の流れがよどむようになったところに血栓ができて炎症を起こして腫れて痛くなっているようです」と僕は言った。「早めの治療がいいかもしれません」

「こういう痛みを何度も繰り返すのはもう嫌なので、早めに治してもらえませんか?今まではこうなった時は大人しくしていたんです。かかりつけに行くと痛み止めと湿布を出されて大人しくしているように言われるだけでした。でもそうすると畑に出れなくなるので、草むしりとかできなくて困るんです。お父さんの世話もしないとならないし」と彼女は言った。

血栓性静脈炎は確かによく繰り返す。そしてその原因が下肢静脈瘤にあることが多い。しかし、下肢静脈瘤を治せばそれらの問題が解決することを教えてくれる人はとても少ない。

静脈瘤が直接の原因だと思う人はほとんどいない。しかし、それを知ってもらうこともとても大事なことで、泣く泣く薬を飲んで湿布を貼ったりしてやり過ごしている患者さんがどれだけ多くいるだろうと思うととても複雑な気持ちになった。それはまるで目の前に倒れている人がいても何もできないでおろおろとしてしまうかのようだった。

下肢静脈瘤で命を落とすことはないけれど、痛みで生活や仕事に支障が出る人は多くいる。しかし、歳だからしょうがないと片付けられてしまうのは患者さんにとっては「諦めろ」と言われているにひとしい。

治療を終えた患者さんがよく言う、「私の周りにも同じように足の悩みを抱えている人がたくさんいます。でもみんなこういう病院やクリニックがあることを知らないし、あっても周りに行ったことがある人がいないから怖くて行けないんです。これならもっと早く来ればよかった。こんなに簡単に治療できるとは思ってなかった。血管を引き抜いて入院する痛い治療だと思っていました。だから私が治療すると周りに言うとどうだったか教えてくれと言われているんです。みんな驚くと思います」

こういう生の声が口コミとなっているのだろう。たかが静脈瘤だけれど、本人にとってはとても不快な病気なのが静脈瘤で、真剣に治したいと思う患者さんもたくさんおられることを診察をしている目の前の患者さんを通して実感する日々だ。

行ったことのないクリニックはどうも怖くてとか、こんな程度で行っていいのかと言われることも多いので当院では無料の静脈瘤チェックを行なっている。誰しも専門的なところに気軽に入ろうとは思わない。

しかし、少しの勇気を出すだけで、今まで何十年と悩んでいたことから十分程度の治療で解放されるとしたらどうだろう?今まで言われてきた「歳だからしょうがない、命に関わらないからこのままでいい、ストッキングでも履いておくしかない」といった言葉たちのいいなりになるのではなく、痛みや重さ、だるさから解放された自分自身の足で軽快に歩く姿を想像してもらいたい。歩かなくなることは肥満や浮腫に直結し、あらゆる病の呼び水となるからだ。死がとても身近に近づいてくる。座っている時間が長ければ長いほど、遠くに座っていた死が少しずつ座席を詰めてくるのだ。誰かの不幸や訃報を流し続けているテレビをずっと見て座っていることほど恐ろしいことはないのではないかと思う。

静脈瘤の足を日々診察して、患者さんとお話をしていると足がどんなに大切かを思い知らされる。そして自分の足を大事にしてあげようと気付かされる。

あなたの足は元気にしているだろうか。