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下肢静脈瘤ブログ

足が「つる」「こむら返り」をなおせるとしたら?

この時期になると、足がつる、こむら返りで目が覚めて辛いという悩みの電話が増えてきます。

近くのかかりつけに行くと、68番の漢方薬を出されるのでそれを足がつったときに袋から口に入れて水で流し込むようにして飲んでいる。

そんな経験を多くの方がされています。どうして足がつったり、こむら返りが起こっているのかを考える必要があるのですが、「水をあまり飲まないから電解質バランスが崩れて足がつっているんです」と言われたり、書かれたりしたものを目にすることが多いでしょう。それはもちろんその通りなのですが、そればかりではないのです。

足の血流の状態が正常であれば、水分の問題だけで済むでしょう。しかし、足に赤くチラチラとした血管が足首やスネ、膝裏に浮いていませんか?

それは下肢静脈瘤と言います。正確には蜘蛛の巣状静脈瘤や網目状静脈瘤などといった名前で呼ばれています。こういった血の流れが悪くなるような状態であることが足がつったり、こむら返りを起こす原因になっています。

根本的な原因を治療することで、薬を飲む必要がなくなったり、こまめに水分を取らなければならないという焦りから解放されます。その治療の方法は「注射」です。

注射で赤いチラチラした血管を硬めてなおす方法があります。下肢静脈瘤手術硬化療法といって、通常、硬化療法と呼んでいます。細い針で細かい血管に薬を注入していきます。一ミリにも満たない血管にも薬を入れることができます。とても繊細な治療なので、あまり好んで取り組んでいる医師は多くありません。

この治療は一度の注射で終わります。何度も通院する必要がなく、そのまま歩いて帰ることができます。通院は1週間後に一度だけ。日中は1ヶ月弾性ストッキングを着用して頂いています。

注射は予防接種くらいの痛みですが、チラチラしている範囲を全体的に注射していくので、範囲がたくさんになります。アリに噛まれたよう、ミツバチに刺されたよう、予防接種をたくさんやったようだと仰る方がおられますので、痛くない治療ではありません。しかし、注射した当日から足がつったり、こむら返りがなくなるので皆さん驚きます。

もう、漢方薬を飲まなくてもいいし、お水を気にしてたくさん飲む必要もない。心が解放されていく感じです。

ボコボコとした血管が浮いているばかりが下肢静脈瘤ではありません。チラチラした細かい血管も下肢静脈瘤の一つです。注射をすることにより見た目も改善され、足が細くなります。

合併症としては、打った場所が茶色くなる色素沈着があります。半年ほどでゆっくりと治っていきます。あとは元々心臓に心臓に生まれつき孔が開いている病気(心房中隔欠損症、心室中隔欠損症)がある場合はその孔から頭に飛ぶということがごく稀ですがあります。もちろんそういった病気を今まで指摘されたことがなければ問題ありません。

当院では無料でもご相談をお受けしております。「写真ほどボコボコしているわけじゃないけど行ってもいいのかな?」と迷っている方はとても多いので、気軽に無料で相談できるようにしています。

今まで、「こういう症状ってどこに行っていいのかわからない」と受診をためらっていた方はとても多く、治すことができるという情報を手に入れることが難しい状態にあります。ネットで調べていても情報に埋もれてしまうでしょう。ご自身の足で静脈瘤クリニックまで来て頂いて、足をみせていただきながらお話ししたいと思います。お待ちしております。

昔から血管が浮いていたけれど、そのままにしてきたけれど

「随分前から、足の血管は浮いていたんです」と彼女は言った。「でも、これと言ってなにか困ることはなかったのでそのままにしてきました。お医者さんに診てもらってもこれは年だから仕方がないのでストッキングでも履いといてと言われるくらいで手術や治療の話はされませんでした。知り合いで昔に手術をしたことがある人がいるんですけど、その人は手術の後がとても痛くって、入院もしたんだけれどあんなのはもうやりたくないって言ってたんです。それを聞いたら怖くなっちゃって」ふくらはぎの内側に浮いた血管を手で撫でていた。

「今はどんな症状があって、病院に行ってみようと思ったんですか?」と僕は訊いた。

「最近足が重だるくなってきて、すぐに疲れちゃうというか痛くなっちゃうというか。足のやり場がないような感じがするんです。何科に行っていいか分かったんですが、大きな病院には行こうと思わなくって。最近人がたくさん集まるところには行かないようにしているのもあって腰が重くなっていました。娘が調べてくれて静脈瘤のクリニックがあるってことがわかったので行ってみようと思いました」

「そうだったんですね。同じような悩みを仰る方が多いですよ。確かに立派な血管が浮いてますね。足もパンパンに張ってますし、これはちょっとすぐに疲れてしまうのは仕方がないと思います」と僕は言いながら超音波の検査を始めた。

「表から見えているボコボコした血管は超音波で見ると蜂の巣のように見えます。蛇がトグロを巻いているようにも見えるかもしれません。いずれにしても表から見えているのはごく一部に過ぎないんです」見えているものがほんの少しで、重要な問題があるところは全く見えないところにあるのだ。それは生きていく中でなんとなく知っているような気がする。本にはもっともらしく見えないもののほうが大事などと書かれているが、そんなことをいきなり言われてもわかったような気がわずかにするだけだ。

彼女の大伏在(ふくざい)静脈は逆流し、拡張し、蛇行していた。それはふくらはぎの内側のくるぶし近くから股の付け根までの広範囲に及んでいた。途中に枝分かれをしてふくらはぎの後ろ側や太ももの内側に回り込むように血管は蛇行してあてもない拡張を続けていた。見た目は浮腫が強いせいか、血管が埋もれていて蛇行自体はそれほど目立たなかったのだ。

「どうでしょうか」と彼女は訊いた。僕が超音波検査をしている時間が長かったからかもしれない。

「はい、時間がかかってすみません。かなり蛇行がきついので、どうやって治療しようかなと考えていました。昔のように切って血管を抜く手術であればそれほど問題にはならないのですが、カテーテルといって細い管を血管の中に入れて治療をする場合は、あまり蛇行がきつい場合はカテーテルが通らない場合があるんです。そういう場合はガイドワイヤーという特殊な器具を使ってなんとか通すんですが」と僕はできるだけ専門的な言葉を一般的なものに置き換えながら説明をした。僕にとって当たり前の言葉は、下肢静脈瘤に初めて触れる患者さんにとっては何を言っているのかわからないものばかりだからだ。

僕は静脈とは何かを絵を使って説明し始めた。動脈と静脈とどのように違うのか、静脈には心臓と同じように弁があるということ、足にはどのように静脈が走っているのか、それが下肢静脈瘤になるとどうなるのかということを全て絵に描いて説明をしていった。

すぐに理解をする人もいれば、すぐに理解したふりが上手な人もいる。返事が上手な人もいれば、内容が全く残っていない人もいる。これ以上ないくらいに平易な言葉で説明したとしても、その人にどのくらい残るかはそのときはわからないのである。

手術が終わった後に、今日はどんな治療をしたんですか?血管を焼いちゃって大丈夫なんですか?と言われることも珍しくない。そういう時も根気よく同じ説明を繰り返す。

人の言うことを聞いている人は実はとても少ないんだということがよくわかる。でも、そういうものだと思うと腹が立ったりすることはない。普通に生きている中で下肢静脈瘤が出てくる場面なんてほとんどと言っていいほどないからだ。

痛くもない、ただ見た目が悪い、足もつるし、こむら返りもある。少し歩くと浮腫んで足が重だるい。でも下肢静脈瘤だとはほとんどの人は知らないのだ。おじいさんやお婆さんがそんな足をしていたなと思い出すくらいである。

ほとんどの人は年だからしょうがない。医者でも同じことを言う。血管を抜くのは大変だからやめておいたらと。ストッキングを履くしかありません。

いつまでも情報は古いままだ。でも、それではただただじっと足を見て悔しい思いをすることになる。

「もっと早くやっておけばよかった」治療を終えた人たちは皆同じことを言って日常に戻っていく。

「今まで思い悩んでいたけれど、こんなに簡単なんだったら早くやればよかったっけや」と80代の女性が微笑みながら僕に言った。痛みから解放されると人はこんなにも安心した表情になるんだと思った。1ヶ月後、彼女の足はつらなくなり、重だるさやむくみは消えていた。その足取りは同じ人だとは思えないほど軽やかで、杖もついていなかったのだ。

プロ選手にとって足が重だるさが「少し」の問題ではない理由を考える

身体を動かすことで生活を成り立たせている人はとても多い。そしてスポーツでプロの選手として第一線にい続けることは想像することが一般的には難しい。身近にそういう人が少ないからだ。

サッカーや競輪、バスケットボール、ゴルフなどのスポーツ選手が静脈瘤のクリニックにやってくるときは悩みの質がとても繊細で、足が試合のときにどうなるのかを細かく聞くことになる。足が「重だるい」とひとことで済ますことはほとんどない。文字通り生活がかかっていて、その生活は足の機能が少し落ちることで来年も保証されているわけではないからとても真剣になるのだと思う。転職するかのように他のスポーツに移行すればいいとはならないからだ。

選手であり続けることはとても大変なことだと診察をしながら僕は感じる。いつもぎりぎりのところを走り続けているように思えるが、そこから見える景色は何ものにも変え難いもので、僕には想像すらできない世界が広がっているはずだ。

彼らには「年だから」などという言葉を投げかけることは、すなわちあなたはそろそろ…と引導を渡していることになってしまう。他の人間や医者からは年だからしょうがないと言われているこの下肢静脈瘤という病気は、よけいにそういうことになりかねないのだ。「年だから」で済まされないのである。

だからこそ、彼らは足の違和感に敏感だ。しかし、医療を提供する側としてはそれに十分応える事ができているとは思えない。「血管が少し浮いているけれども、これは特に問題ないでしょう」などと彼らに超音波検査もせずに目視だけで間違っても言うことはできない。

一般人にとっては「少し」なのかもしれないけれどもその「少し」はプロの世界では東海道線と新幹線くらいの違いがある。そしてその「少し」が理解できるのはそれを専門に診ているところでないと判断ができない。骨のレントゲンをとって骨には異常がありませんと言っているようなところでは話にならないからだ。骨に異常がないのなんか分かっているのに、少しでも単価を上げるために余分な検査をするのは涙ぐましい努力なのかもしれないが、患者の涙がそれで少しでも止まるわけではないのだ。

蜘蛛の巣のように細かい血管や、網の目のような血管がふくらはぎや太もも、足首やくるぶしに浮いていたらそれは下肢静脈瘤と診断される。そしてその治療法は硬化療法という注射の治療だ。浮いている悪い血管にそれぞれ注射をして悪い流れを潰していく。この下肢静脈瘤の治療もほとんどの施設ではやられていない。そんなに細い血管に針を入れて注射するのが難しく、やり方によっては色素沈着などの合併症を引き起こしやすいからだ。そして料金も安いため導入する施設も少ないのである。静脈瘤のクリニックですらやっていないところもあるのだ。それだけ面倒が多い治療を僕は何でやっているのかというと、症状がそれで改善することが多いからだ。ついでに見た目も良くなる。

足のだるさや、むくみ、冷え、ジンジンした痛み、張ってくるような痛み、こむら返り、足がつるといった症状はこれらの細かい糸ミミズのような下肢静脈瘤によるものなのかもしれない。これらの症状と下肢静脈瘤が繋がっているなんて想像することすら難しいだろう。僕だって最初の頃は見た目を治す治療なんだろう、クレームも多いしめんどくさいなと思っていた。しかし、この治療をたくさんすることで患者さんたちが、痛みや冷え、違和感などから解放されたと喜んでいるのを見て、どうやらこの治療は見た目をついでに治す治療なのかもしれないと思うようになったのである。それから僕は血管がボコボコ浮いていないけれども、こういった細かい血管が出ている患者さんの訴えを聞いていった。そしてこの治療の経験を積み重ねていくことで治療しにくい症状があることに気がついた。

治療しにくい症状は「しびれ」だった。しびれの程度は半分くらいにはなっても、それが気にならないほどにはならなかったのだ。しびれの原因によって治療効果に影響してくる事がわかった。最も治療しにくいのは背骨に原因がある場合だった。ヘルニアや狭窄症などの背骨から足に向かって出ている神経が挟まれたり炎症を起こしたりしている場合は根本的な治療がなされない限り、治療効果は半分程度にとどまった。それ以外のしびれは改善が見込まれる事が多かったのだ。

これらは論文になることもないだろうし、教科書にも載ることはない。そのエビデンスが可視化できるものではなく、その人の主観的な指標に頼らざるを得ない(最も10段階でスケールすることはできるが、それだけでひとつの治療法であると断言できるほどのエビデンスにはなり得ないと思う)。エビデンスがないのであればそんな治療は意味がないと切って捨てるのは簡単だ。周りは好きなように言うだろう。しかし、この治療に合併症やリスクやクレームが起こりやすかったとしても、その先に「どこにいっても治らなかったのが、本当に楽になった、ありがとう」という言葉を直に患者さんからもらうと、そんな苦労は何処へやら行ってしまう。

プロの選手だって観客からのあたたかい拍手や声援を求めているのだろう。その声が大きいか小さいかの違いはあるだろうけれど、「ありがとう」と言われたくて僕は医者をやって生きているように思う。それがなくなったら生きているのも面倒くさいなとぼやいてしまうかもしれない。白衣というユニフォームを脱ぐのはまだまだ先になるのかもしれない。