COLUMN
「スネのアザがなかなかなおらなくて」と彼は言った。ジーンズを膝までめくり指でそのアザの部分を指差した。「ここのアザが茶色くなってかゆくなるんです」
私は患者さんの足を足を診ることの方が顔を見ることよりも多い。診察室では小さな低い椅子に座っているため、少し屈むとアザと呼んだスネと同じ目線になった。
私はアザの部分よりも彼が指差した部分をスネと言ったことに興味を持った。「スネがかゆいんですね」
「ええ、スネがかゆいんです」
そこはふくらはぎじゃなくてスネなんだ、と私は思った。骨の部分はスネというかもしれないけれど、肉のある膨らんだところに近くなってくるとそこはふくらはぎというのではないかと思ったのだ。私は大きな勘違いをしていることに気がついた。いつも「ふくらはぎがかゆくなる」と言っていたし、そう思っていたからだ。
さらに彼はそれを「アザ」と言った。皮膚がうっ滞性皮膚炎になり、色素沈着を起こして茶色く変色している状態で、それらは湿疹とされる。アザとは根本的に異なるものだが、患者さんの表現が多様であることを物語っている。
「そのアザに対して、いつもどうしていましたか?」と私は訊いた。「皮膚科に行ったり、軟膏なんかを塗ったりとかしていましたか?」
「ええ、いつも冬になると同じところがかゆくなるので、皮膚科に行ってました。静脈瘤のことは言われたことはありませんでした。石鹸でよく洗うようにしてそれからステロイドの軟膏と保湿剤を塗るようにしていました。朝起きた時にも同じように薬を塗ってから靴下を履くようにしていたんですが、薬を塗らなくなるとまたかゆくなるんです。色だって良くなったり悪くなったりしているだけで、いい方向には向かわない」と彼は言った。視線はあざに向いたまま、手であざをなでた。それはまるでふらっと縁側にやってきた野良猫の頭をそっと撫でるようだった。これ以上どうしたらいいんだろうという戸惑いが滲み出ていた。
「残念ながら、アザに薬を塗っているだけでは根本的な治療にはならないんです」と私は言った。「根本的に下肢静脈瘤を治療することでアザがなおってきます。最初はかゆみがおさまっていきます。色が良くなるのはそれからです。少なくとも3ヶ月から半年はかかります。周辺から徐々に色味が薄くなっていきます。スネの上の方からなおりやすく、足首に近いところは少し時間がかかります」
「これ、なおるんですか?ずっとなおらないんだと思っていました。先生も静脈瘤のことは教えてくれないし」と彼はうつむいた。
「たくさん患者さんがくるところだと、根本的な原因とその治療を説明する時間がないんだと思います。3分診療と言いますが、実際は1分くらいで患者さんの足を診ている時間すらなかったりするんじゃないでしょうか。待っている患者さんが沢山いるから早くしなくてはと思いながら診察をしているので、他のことまで言えないんです。看護師さんからのプレッシャーも感じるでしょうし」と私は言った。皮膚科の診察をしていた頃を思い出した。まるで自分が薬の自動販売機になったようだった。いかに早く、無駄なことを言わず、患者さんの求めていることに応える役割に徹していた。
「そこで働いていたら、私も同じようになると思います」と私は言った。「静脈瘤のことまで伝えることができないんです。そこに意図はないはずです。石鹸もアザの部分には使わない方がいいけれども、なぜ使わないか、綺麗になるのかなどの質問が来ることは目に見えているので言葉数を減らすためにスキンケアについても何も説明することが難しいのです」
「そうなんですね、ここはそういう診察はしないんですか?」と彼は訊いた。「こういう患者さん沢山いるでしょうし」
「ええ、ここは予約で診察をしているのでそういう意味では少し時間に余裕があります。もちろん余計な話をしていると看護師さんからプレッシャがーかかるのは同じですけれど」と僕は少し声を落としていった。
「では治療について説明しますね」
彼は私の説明に身を乗り出しながら聞いていた。静脈瘤がどうしてできるのか、どこがどう悪いのか、どうやって治療するかについてひとつ説明を終えるとその度に質問をしてもらうようにした。あとでまとめて質問を受け付けると、その時には既にどんなことを質問しようかすら忘れてしまうからだ。もちろんまとめて質問してもらった方が効率的だけれども、そうはしなかった。彼は沢山聞きたいことがあった。自分の状態や治療に興味があったのだ。不安を少しでも取り除いてもらえればそれが一番いい。
最初に話を伺っているときにはとても不安そうな表情が消えて、口元は少し緩んでいた。
これは静脈瘤に限ったことではないけれど、全て先生におまかせしますと言われてしまうと、自分が説明したことをこの方は本当に分かってくれたのだろうかと心配になる。
なぜならそういうときに限って、今日はどんな治療をするんですかと治療当日になって言ったりするからだ。なんでもかんでも先生に任せすぎるというのは、少し乱暴かもしれない。
もらっている薬がなんのためにどうして必要なのか、そしてこの薬はいつやめられるのか少し考えてみるのもいいかもしれない。
死ぬまでその薬を飲まなければならないのかと思うとゾッとしませんか?飲まなくていいようにしてくれるのがお医者さんの役目じゃないの?などと思ったりもしなくもないのですが、そんなことを言ったらクリニックが潰れてしまうじゃないか余分なことを言うなと怒られてしまいそうですが、あくまで私見です。
静脈瘤は注射や手術で治療するので、ずっと患者さんが継続して来てくれるわけではない。だから余計にそう思うのかもしれない。なおるのはとってもいいことなんだけれども。
下肢静脈瘤の診察室にて
*これはフィクションです。
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