院長コラム

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COLUMN

2022.08.05

足の血栓、頭に飛ぶ、死んでしまう、そう思うとき

足にしこりのようなものができてしばらく経つ。私はふくらはぎの内側を見るたびに、そのしこりが大きくなっていないかを触って確認している。「うん、今日は大丈夫そうだ」足をさすりながら言った。履き慣れたランニングシューズの紐を結んで扉を開けた。

30分ほど緩やかな山道を走っていると、足がなかなか上がりにくくなってきた。すぐに疲れてしまう。おかしいなと思いながらもいつもの目的地である富士山の見える公園になんとかたどり着いた。ふくらはぎの赤みが増してきていた。少し水で冷やそうと思い立ち、私は水道でタオルを冷やしてふくらはぎに当てた。足を投げ出しているとずきずきとした痛みが気持ち軽くなるのを感じた。これは帰り走れるだろうかとその時はまだ走る前提で考えていた。今考えると何故あのとき素直に歩いて帰らなかったのか不思議だった。歩くという選択肢がすっぽりと抜け落ちていたのだ。

10分ほど足をベンチに投げ出し、タオルでふくらはぎを冷やしながら水を飲んだ。2週間後に控えているマラソン大会のことが頭をよぎった。今回は良いタイムが出せないかもしれない。

タオルを首にかけ直して、帰り道を走り始めた。あたりはもうセミが大合唱している。腕時計はあまりゆっくりしている時間はないことを静かに告げていた。一歩一歩の着地を確かめるかのように走り、シャワーをそのまま浴びた。足には冷たい水を当てていると気持ちがよかった。着替えてそのまま仕事へと向かった。

パソコンに向かって仕事をしていると、ふくらはぎがずきずきと痛み出した。昼休み前だったので、かかりつけに電話をしてすぐにみてもらうことができた。レントゲンでは異常がなく、これは血栓かもしれませんと医者が言った。

「血栓?血栓って、頭に飛んで、死んでしまうやつですか?テレビで言っていました。大丈夫なんですか」と私は動揺しながら彼に尋ねた。

「そうですね、万が一ということもあるので、これから大きな病院に紹介状を書きますのでそのまま行ってください」と医者は言った。

私は首を振った。やれやれ、仕事どころじゃない。すぐに職場に連絡を入れて休むことにした。上司は血栓という言葉を知っており、とても心配そうに明日も休んでいいと言っていた。私は自分があまりいい状況にない事を確認してしまったようだ。

タクシーで総合病院に向かった。循環器内科へと案内され、すぐに超音波検査とCTやMRIの撮影に回された。酸素飽和度を計られ、胸に聴診器を当てられた。そして採血され、車椅子で院内をあちこち連れて歩かれた。結果はすぐに出た。

「血栓性静脈炎です」と長身の眼鏡をかけた感じのいい医者が言った。彼はとても煙草臭かった。私は煙草を吸わないので、その匂いには特に敏感だった。「足に血栓ができて、塊となり、炎症を起こしています」

「血栓性静脈炎」と私は確かめるように言った。そしてもう一度同じ質問をした。「血栓って、頭に飛んで、死んでしまうやつですか?大丈夫なんですか」テレビで言っていたとは言わなかった。

「それは深部静脈血栓症のことですね。血栓性静脈炎では頭にも飛ばないし、死ぬことはありません」と彼ははっきりと言った。「ただし、心臓に先天的な異常があると飛ぶことはありますが、飛ぶとしてもほとんどは肺に飛びますし、息が苦しくなるような呼吸障害になるまではかなりの量の血栓が必要になります。少量の血栓では呼吸への影響は出ることは少ないですよ。今回は痛み止めと抗生剤の内服薬を処方します。足を冷やして冷やして上げておいて下さい。しばらく運動せずに安静が必要です。ひと段落したら下肢静脈瘤の治療が必要ですね」

彼の言っていることが専門的すぎるのか、死ぬことはないと聞いて安堵したためか、その後の説明は全然頭に入らなかった。おそらく彼は丁寧に答えてくれていたのだろう。それでも私の安堵感は病状を理解することを忘れてしまった。下肢静脈瘤という聞き慣れない言葉が引っかかった。すぐにでも調べたい衝動に駆られたが、調べることを指が拒否していた。

今日は色々な事がありすぎた。血栓で死ぬことはないことが分かって本当によかった。あらゆる情報が混ざり合って、誤った情報に姿を変えてしまっていた。ほとんど妄想と言ってもいいくらいだ。血栓、頭に飛ぶ、死ぬかもしれない。この組み合わせがいかに間違っていることを私は理解する事ができた。

印象的な専門用語と死を組み合わせることで、新しい不安を誕生させる能力に長けている居間にある大きな画面は私からたくさんのものを奪ってきた。自分を見つめること、自分から動くこと、自分の時間などだ。長い時間、その画面の前に座っていることで血流が滞り血栓ができるというのに気づく事ができなかった。血栓が危険だと吹き込む大きな画面を座って見続けている行為そのものが危険だったのだ。無為に数時間も見続けることでその危険性は増していく。映画だってよくみたら長くても3時間弱だ。劇場だって強制的な休憩がある。

楽しい内容のものは記憶には残らないが、不安を煽るようなものは頭に刻み込まれている。外に出て人と話したりすることが以前のようにはいかない今は部屋に篭り、画面を一人で眺める時間が増えてしまった。私はそれが嫌で外を走ることにしてきたのだ。外に出るだけでも立派な運動だ。今回は血栓を経験したが、それだって下肢静脈瘤という病気が原因としてもともとあったために発症しただけで、下肢静脈瘤をなおせばもう血栓の痛みに苦しむことはないんじゃないかと思った。結果として起こっているものは反復する可能性を大いに含んでいる。そのためには原因を根本的に治療すればいい、ただそれだけで全然難しいことじゃないじゃないかと思うようになってきた。目の前の血栓はそれをただ教えてくれているだけに過ぎない。それは『ただの血栓』だ。血栓と死を結びつけることは妄想のようなものかもしれない、と私は足をさすった。すまなかったねと言うように。

気がつくと、足の痛みが少しずつ気にならなくなっていった。

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